ハプンとハピネス、そして僕。または俺

5月51日をきっかけにはじめた、中水かおるのメモ日記。タイトルは、ハピネスの語源のハプンから。

震災から20年

今朝は、朝5時から三宮の東遊園地で毎年行われている
阪神淡路大震災1.17の集い」へ。
この街で生きている人たちの想いが重なる節目の年。
自分も巡り巡って、この街に暮らしているのだから、と思って4時台に家をでる。


「1.17希望の灯」から分灯された灯が、
会場の一人ひとりの人たちが手に持つロウソクにつながれてゆく。
何が行われているかも見えないほど、群衆の中に埋れている
自分が手にするロウソクにまで、灯が灯るのか不確かな気持ちで立つ。


だけれども、その灯はきちんと自分のところにもやってきた。
そのことがまた希有なことに思う。


灯がともると、それぞれの人が、東遊園地の真ん中で1.17をかたどる
一万本の竹燈籠に点灯してゆく。
午前5時46分に黙祷する。


黙祷が終わると、献花が行われ、
遺族を代表して、被災当時、6歳で今は26歳の女性が想いを語られた。


亡くしたお母さんのこと、一緒に寝ていた10歳の姉が生きることを
とっさに選択して自分を連れ出したこと、引き取られた祖父母との暮らし、
生活の中で自分を支えてきた思い出が、
今の自分の美容師としての人生につながっている話。心を打つ。


説明のつかない別離、思い出が個人の人生に影響を与えるのは
因果で理不尽なことだと個人的には思う。
一人ひとりがその人にあったやり方で、その都度
選択をしてきっと生きてゆく。


彼女は、震災のことを話すと悲しい表情をする人が多かったから、
話さないほうがいいと思って話さないできたけれど、今日は語ります。
ということを言っていたのが印象に残る。人それぞれの時間がある。


理不尽な痛みを簡単に越えられるほど人は強くない、と改めて思う。
痛みに焦点を当てすぎると、その先を生きていけない。
だけれども、それと同じくらいの人の生きる力ようなものを、
私はどこかしら信用してる。そういうことに、いいもわるいもない。


親から子へ受け継がれにくい悲しみはきっとあると思う。
すぐそこに教えてくれる人がいるのに、聴けないことがたくさんある。
話を聴く一線を超える努力をもしかすると家族単位でやってみることは
案外、大切なのかもしれないな。


死ぬまで家族とは、家族だからこそ語れない事が多い。
だけれども、もし家族間で語る事ができたなら、人が人に伝えられることは
人間の総量的に深くなるのかもしれないな。


あるいは家族じゃない他人となら、できるなら、
そういうのがあってもいいのかもしれない。


その人がほんとうにその人のことばで語ることは比類ない。
まだ若い20代の彼女が語る話を聞いて、記憶をつないでゆくときの繋がれ方
というのを教えられた気がする。