ハプンとハピネス、そして僕。または俺

5月51日をきっかけにはじめた、中水かおるのメモ日記。タイトルは、ハピネスの語源のハプンから。

託される思い

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福寿のきき酒にトライした夜でもありました

普段は遠方にお暮しになっている、お世話になった方が神戸にいらっしゃるとのことで、電話あり。私が、今、携わっている仕事を大切にしているのは、紛れもなくこの電話をくださった方に出会ったことが大きい。仕事上の関係がなくなっても、仕事はうまくいってますか?と、ふと思い出した人にまっすぐ明るく連絡をされるような天真爛漫な方。

 

組織のトップリーダーをされていたその人は、私には荷が重いテーマに取り組む際に、ご自身の知見を惜しみなく、わかりやすく教えてくださった。印象的だったのは、私とご本人の考え方が違う時の私への働きかけ方、対話の在り方だった。正論だけではない説得力があった。関り合いの中で、その方が長年、大切にされてきたことを、多くの人に伝えたいと心から思った。悲しみの傍らにいた人ならではの切実さや怒りのようなものを今も引き受け、語り続ける覚悟のようなものを垣間見たせいもあるかもしれない。

 

リーダーは人を動かす力があるのだなと、その方に出会って実感した。なぜなら、私自身がその人の想いや紡がれる言葉をとても大切にしたくなって、全力を尽くしてしまったのだ。多くの人にその願いを理解してもらいたくなる。きっと、その方の想いの純度が高かったからだ。私にとっては偶然の巡り合わせにすぎない。けれども、自分が出会ってしまったことや人は、なるべくなら引き受ける選択をしたい。

 

なぜなら、生まれてこなければ、生きていなければ、人は人に託すことも、託されることもないからだ。託された思いは大切にしよう。人が人に託す願いの中には、人として忘れてはいけないことの本質があるように思う。