ハプンとハピネス、そして僕。または俺

5月51日をきっかけにはじめた、中水かおるのメモ日記。タイトルは、ハピネスの語源のハプンから。

漢字圏の国で英語を話すこと


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新年初旅行に、友達に誘われて台湾へ小旅行。写真は、台湾のパワースポットといわれている龍山寺。この文を読んでくださる皆さんにも、よいパワーが届きますように。  

漢字の国に来ると、内容が想像できてなじみやすい一方、漢字を知っているだけに、余計意味がわからないときがあった。そんな、意味が全くわからない時に、添えられた英語を見て理解しやすくなることがあった。

母語以外、使うことができないことが私のコンプレックスのひとつなのだけど、英語が母語でない留学生の中には、英語で過ごしている学生がいる。

漢字圏で育っていない学生は、言語の構造があまりやにも、自分と違う国で暮らすとき、まずは意思疏通の可能性を高めることを目的に、その国の言葉もさることながら、語学力を磨くためにレベルアップするハードルが低い英語の方が使いやすくなるのかも?とも思い至った。

神様はなぜ、世界中の人のことばが違うのか?と問うてみたときに、私は、聖書のバベルの塔の話しかしらないけど、言葉って不思議だなと思う。音もかたちも違うのに、その真意が翻訳できて伝わるのだもの。翻訳機が進化したりすると、ことばをめぐる人の関わりかたや在り方は変わるのかもしれないけれど。

伝えたいことを伝えたい、という思いと、伝わらないことをわかりたいと思う気持ち。この両方のやりとりを、普遍的にできることが、言葉の魅力だと感じてる。