ハプンとハピネス、そして僕。または俺

5月51日をきっかけにはじめた、中水かおるのメモ日記。タイトルは、ハピネスの語源のハプンから。

蒲生氏郷(がもううじさと)に学びたい

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会津若松城

戦国時代から安土桃山時代にかけて、織田信長に仕え、秀吉、利休に一目置かれた蒲生氏郷(がもううじさと)という武将のことを知る。以前は、多くの経営者や一定の年齢を経た人が、歴史を学ぶことに辿り着くことを不思議に思っていたけど、最近、自分も先人の知恵に学ぶことに興味が出ている。

 

人生の最終章にくると時間軸を超えて、大局的に人類の歴史をふりかえりたくなるのかなと思っていた。「そもそも人間て何なのだろう?」という観点から、繰り返される歴史から人類の未来を紐解きたくなってしまうのかな?と思っていた。でも、最近は、歴史や先人に学ぶことは、実生活上の実用性が案外高くて、生きる助けになる気がしている。特に戦国武将の場合は、組織での人間関係や仕事のやり方の参考になる。少し、ハウツーに近いけど・・。年齢を重ねると出会う人間の数と種類、領域が大きくなっていくので、自分の価値観や評価軸と違う組織や人に数多く出合う。

 

あるところでよいことが、全く逆となることもある。その時々、自分が持ちうるパターンで対処していくしかない。自分の経験を違う角度で読み解くときに、歴史や学問は今更ながら、次に行ける手助けになるなと今日思った。時代は違っても学べることや先人が無数にいるからだ。

 

蒲生氏郷は、13歳の時に人質で織田信長のもとに遣わされたのち、信長に気に入られて文武両面を徹底的に教育され、その期待に応えて武功を立て、娘と結婚して信長に仕えた人。信長が本能寺の変で絶命した後は、秀吉に仕えるものの恐れられ、都から遠く離れた会津の敵方と近接する厳しい環境におかれたり、伊達政宗に暗殺されそうになったりしてる。最後は病気で40歳の若さで他界。

 

千利休が文武二道というほどの風流人でもあったよう。そして、部下には自ら風呂を沸かしてねぎらったり、武功の成果報酬を部下同士の話し合いで決めさせるなど、上位下達の時代に今どきのリーダーシップを発揮したマネジメントも行っている。さらに、信長の楽市・楽座を習って城下町を商業で発展させたりと、先見の明があるのだ。とても面白い人だなと思った。

 

さらに、蒲生氏郷を知ったとき、アドラー心理学を平易に紹介してベストセラーになった「嫌われる勇気」の岸見一郎さんがその行動を解説していた。

・「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置く

・評価とその人自身の価値はイコールではない

という観点で、読み解かれていた。最近は、ビジネスの現場でも教育の現場でも「評価すること」がついてまわる。その「評価」が「すべて」となることも起きている。

 

この時に、注意しないといけないのは「評価」と「人の価値」を切り分けることが極めて重要であることに改めて気づいた。「結果」についての「評価」は、よいものも、悪いものも、評価者とその環境、タイミングなど外的要因によるものだからだ。評価と評価される人の「存在価値」をイコールで考えてはいまいか。混同してはいないか。「あれもダメ、これもダメ」という評価は、事業継続や人材解雇の判断基準にもされるから、それらにかかわる人に与えるダメージは大きい。

 

何らかの評価が下されたとしても、人自身の価値とは何も関係ない、という価値の受け止め方を社会環境や常識も共有していかないと価値づけはラベリングにつながって、人間がよりよく生きることにはつながらない。価値づけのとらえ方が人を苦しくさせる。

 

よい評価はそれ以上でも以下でもないので案外左右されにくいけれど、その逆の時は、すべてが徒労にすぎず一切を無駄に感じてしまいがち。私自身は、やらない後悔より、やる後悔、と思うけれど、価値を共有できない人がひとりでも身近にいるときは、むしろ、何もやらなかった方が平和でよかったのではないか、思うことがある。けれど、それは危険な考え方なのかもしれない。

 

自分の行動と在り方、内面と外面の自己一致、自分にかかわる一切の結果を引き受けることを自己に強いすぎると、視点が自分の存在理由への疑いに収束していく。これも自己責任が強く問われる時代の風潮や影響を無意識に受けているのかもしれない。自分自身に余白が必要な気もする。 

ベストセラーのビジネス本や自己啓発本はなんとなく、心地いいことが書いてありそうで読むのが恥ずかしく、敷居が高い。買っても積読になりがち。でも、今更だけど、「嫌われる勇気」を読んでみたくなった。蒲生氏郷ももうすこし、学んでみよう。

蒲生氏郷

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E7%94%9F%E6%B0%8F%E9%83%B7

愛しさと切なさと心強さと

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今日から仕事始め。

さまざまなことを思いながら、なんだか、こころは、愛しさと 切なさと 心強さと と思わず口ずさみたくなる気持ち。どんな歌詞かも忘れたけれど、いま、もっていたいテンションはそんな気分。そのこころは、強い気持ちをもつしかない、ということ。それは、切なさが勝っているのだ。喜ばしいことをおりなすことはできているのに。ほんとうのさいわい。

人と旅をすること


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友人二人と台湾に旅をした。ほんの3日間だけど、私が迷惑や手間をかけても、やりとりの行き違いをあっさりと受け入れるとともに、とても気のきいた言葉も添えてくれる。その人たちは、素直でユーモアと思いやり、たまにジョークと毒舌がベースなので、恩着せがましいところが一切ないのだ。きれいごとがない人を私は愛してる。

 

私が申し訳なく思っていることや、焦っている時もそれをわかったうえで、後に引かせることもなく、着実に次のステップに一緒にいける。その人にとっては、なにがどうあれ、他者を思いやるのは、日常の何てことのない当たり前な対応なのだろうと感じるだけに、ほんと素晴らしい。どうやったら、そんな風になれるのだろう。その旅には一緒に旅をするもの同士の間に思いやりしかなかった。

 

人と旅をすると、自分の人となりと他人の人となりが交差して、学ぶこと、気づかせられることが多い。常日頃、親しいとか親しくないとか関係なく、そこにいて行動をともにする人同士の持ち味が生かされてゆく。

これまでも色んな旅をしてきたけれど、引き続き、今年もいろんなスタイルの旅をしたくなった。そのきっかけを新年早々、もらえた縁に感謝したい。

食に貪欲なひと

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食に貪欲な人が羨ましい。食文化の違いに、こころから好奇心を持っている人は、生命力が豊かでどこの国にいっても楽しみがつきないと思うからだ。得体の知れないものでも、なんでも食べられる人は、きっとどこででもいきていける。

 

この数日、台湾に旅をしてる。地元の人が食べているような屋台や得たいの知れないものを、チャレンジしてきた人と行動してて、その環境は楽しいのだけれど、はて、自分は食べられるか?どうか?と思いつつ、チャレンジしてる。

 

私は環境は大抵のことは、そんなもんかな?と思って馴れるのだけど、自分のからだに会わない食べものはなかなか難しい。とはいえ、2日ほど台湾にいて、じわじわと自分がイケそうな領域が増えてて、普段だったら食べないものを食べたりしてる自分のマインドが面白いなと思う。

 

変なものを食べないセンスと自衛力も目利きしながら、よいものは自分のなかにとりいれていこう。今年はフットワーク軽めで、いろんなところにでかけたり、旅に出てみることを心がけていこう。ニュートラルになることで、新しいことに出会えるかもしれないから。

漢字圏の国で英語を話すこと


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新年初旅行に、友達に誘われて台湾へ小旅行。写真は、台湾のパワースポットといわれている龍山寺。この文を読んでくださる皆さんにも、よいパワーが届きますように。  

漢字の国に来ると、内容が想像できてなじみやすい一方、漢字を知っているだけに、余計意味がわからないときがあった。そんな、意味が全くわからない時に、添えられた英語を見て理解しやすくなることがあった。

母語以外、使うことができないことが私のコンプレックスのひとつなのだけど、英語が母語でない留学生の中には、英語で過ごしている学生がいる。

漢字圏で育っていない学生は、言語の構造があまりやにも、自分と違う国で暮らすとき、まずは意思疏通の可能性を高めることを目的に、その国の言葉もさることながら、語学力を磨くためにレベルアップするハードルが低い英語の方が使いやすくなるのかも?とも思い至った。

神様はなぜ、世界中の人のことばが違うのか?と問うてみたときに、私は、聖書のバベルの塔の話しかしらないけど、言葉って不思議だなと思う。音もかたちも違うのに、その真意が翻訳できて伝わるのだもの。翻訳機が進化したりすると、ことばをめぐる人の関わりかたや在り方は変わるのかもしれないけれど。

伝えたいことを伝えたい、という思いと、伝わらないことをわかりたいと思う気持ち。この両方のやりとりを、普遍的にできることが、言葉の魅力だと感じてる。

PHOENIXと沖縄

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阪神・淡路大震災の時に支援を沖縄から受けたことからのつながりが今も続いてる。洋画家・鴨居玲さんのPHOENIXが横に


今日の夜ランは、生田神社へ破魔矢とお札を返しに行った帰路コース。昨日と今日、センター街を通り過ぎる中、沖縄の首里城再建に向けての呼びかけ横断幕がかかっているのに気づく。神戸の中心街にある商店街がなぜだろう、と思ってネット検索すると、阪神・淡路大震災時に支援を受けたのをきっかけに交流が続いているよう。このことを知っている人はどれだけいるのだろう。

 

一般的に商店街の活性化について話を聞いたり、調べると見かけるのが、商店主さんの本音は本業の経営が厳しい中、「儲かるか」「儲からないか」ということが最大の関心事だから、大儀を出して何かやろうとしても賛否がおきて、ひとつにまとまることが難しいということ。確かにそれはほんとで切実なことで、共感する。私が今関係している組織連携の仕事もまさにそうだから。

 

生存が問われるリアルがある中で、この横断幕を見て感じるのは、その時代時代でかけねなく想いを差し出した人たちの行動が、25年という時間を経ても積み重なり、街がリアルにうごいているという事実だ。この年末年始も、この横断幕を掲げ続けているこの商店街は、この街の歴史と関わってくれた人のことを大事にしているのではないかとも感じた。それは静かな覚悟のようなもの。伝えるという覚悟。賛否はあったのだろうとも思うのだけれど、今生きている商店街の人たちの一部の矜持のようなものを少し感じた。

 

<以下参考>

神戸新聞11月20日記事「『よみがえれ!首里城』三宮に横断幕、募金呼び掛け」から https://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/201911/0012893942.shtml

その横に、鴨居玲さんのPHOENIXの絵もある。震災当時のエピソードを知る。

アートストリート構想 三宮センター街二丁目

http://www.centergai2.com/htmlcont/art01.asp

産経新聞「復興を見守ってきた“不死鳥” 阪神大震災から21年」

https://www.sankei.com/west/news/160109/wst1601090014-n1.html

 

三宮センター街2丁目Facebook

https://www.facebook.com/centergai2/photos/a.501827856683406/1260781590788025/?type=3&theater

https://www.facebook.com/centergai2/photos/a.501827856683406/1226504967549021/?type=3&theater

 

 

 

夜ランはたのしい

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いつみてもうれしくなるポートタワー

正月2日目。昨日に続いて、Runを続けようと思って、ずっとやってみたかった夜ランへ。いつも夜寒いかな~と思って、日が暮れてから走ったことなかったんだけど、これがすこぶる気持ちよかった! ポートタワーからハーバーランドの観覧車下の明るい場所を見やりながら、海沿いにレンガ倉庫の方へ抜けて、Umieに寄り道コースで。日中に家事をしながら、ホットワインをガンガンに飲んでしまっていたので、あんまり無理せず、むしろ気持ちよくて。案外イケる!

あまりレンガ倉庫の方に行く機会がないけど雰囲気がとてもよい。でも、人がほとんどいなくて、なんだかもったいないなと思いながら走る。観光の人も観覧車位までしか行かないのかも。人を動かす動線がないせいかな。ひとけのないデッキの床に、鳥や山の影絵がライトで映し出されたりしていて、ほっこりする。愛らしいのよ、特にトリ。

この公園をデザインした人はいろんな思いを込めたり、考えていたんだろうなぁと思う。人工的な公園にいのちが吹き込まれるといいのに。素地は整っているから、あとは何が必要なのかしら。周囲には大きなマンションと商業施設があるから、案外、活用されていたりするのかな。

短時間で身近な場所の意外な景色に出会えたり、夜の冷たい空気がとても気持ちいいから、走っていてとても楽だった。帰り道はクールダウンで歩いて帰りながら、ランナーって自由でおもしろいなと思う。